大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所尼崎支部 昭和47年(ワ)586号 判決 1979年4月26日

原告 波多野昇こと張君傑

被告 国

代理人 岡崎真喜次 木下俊一 浅田安治 渡辺春雄

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事  実<省略>

理由

一  <証拠略>によれば、原告は、中国山東省掖縣呂村出身の中国人であり、昭和一三年三月ころ日本に来往し、大阪市西区新町の店で雑貨の仕入商を営んでいたが、第二次世界大戦中の昭和二〇年六月一二日朝鮮経由で帰国して天津に引揚げ、貿易商等を始めて奉天、ハルピン、大連、営口、天津、青島に支店を有していたこと、昭和二〇年八月一六日ころ、原告は、関東軍に代金合計一三二万四三一〇円相当の衣料品、食糧品等の物資を売渡し(関東軍が物資の売渡しをうけたことは当事者間に争いがない。)、弟の訴外張臣傑をしてこれにあたらせ、右物資を青島から営口を経て奉天に運んで引渡したが、当時第二次世界大戦終結後のことで中国人の身であるところから、売主名義はまだ使つたことのない日本名である波多野昇名義を用いたこと、張臣傑は、その後右代金の支払を関東軍に交渉した結果、関東軍は、右代金支払のため、昭和二〇年八月三〇日、関東軍経理部分任官陸軍主計少尉豊田明、金額一三二万四三一〇円、支払人日本銀行新京代理店なる小切手一通を波多野昇に交付したが、当時既に日本銀行新京代理店は閉鎖されており、右代金の支払がなされなかつたこと(関東軍の右小切手の交付、日本銀行新京代理店の閉鎖、右代金の不払の事実は当事者間に争いがない。)、以上の事実を認めることができ、右認定を動かすに足りる証拠はない。

二  そこで、被告の消滅時効の抗弁について判断する。

前叙のように、関東軍は昭和二〇年八月三〇日前記小切手を振出しているのであるから、本件売買代金債権の弁済期は同日とみるべきところ、<証拠略>によれば、原告は、昭和二四年一二月一七日中国から日本に再入国し、以後本邦に居住していることが認められるから、同日以降は右権利を行使しえたものというべきである。

原告は被告が本件売買代金債権を承認した旨主張するので、右中断事由の有無についてみるに、<証拠略>によれば、原告は、日本に入国居住後間もなく、知合の当時国会議員で弁護士の中山福蔵、同人の妻で同じく国会議員の中山マサに依頼し、同人らとともにもしくは原告個人でもつて、昭和二八年ころから同四二年九月ころまでの間、外務省、大蔵省、厚生省に対し、本件売買代金債権の支払方を度々交渉したことが認められるが、証人中山福蔵、同中山マサ、原告本人の各供述中、右行政機関の係官が前記債権については時効にかかることはない旨、しばらく待つてほしい旨答え、その他前記債権を承認する態度をとつていたかのように述べる部分は、左記の理由によつて採用することができず、他に原告主張の右中断事由を認めるに足りる証拠はない。すなわち、<証拠略>によれば、外務大臣官房長大江晃は、昭和二八年七月三日付の厚生省政務次官中山マサ宛の回答書でもつて、外務省条約局の原則的見解として、終戦後、中国本土において在外公館が中華民国々民より借入れた金銭の返済措置、中華民国と日本国との間において相互の私人ないし国家間の債権、債務および財産の処理について、一般的に法的な根拠とその解釈上の難点を示したうえ、前記債権について、右法的問題と切り離して解決することも可能であり、政府が債務として確認して支払をなすことも法律的には不可能ではないが、他に同種類または同程度の請求も多々あり、前記債権のみを解決することは困難である旨回答していること、また、<証拠略>によれば、大蔵省理財局の山崎太郎は、昭和三〇年一一月二九日付の原告宛回答書でもつて、前記債権については、一般の在外財産とは異なる面があると思われるので厚生省引揚援護局に相談を勧めたこと、<証拠略>によれば、厚生省引揚援護局復員課長は、昭和三一年二月一四日付の原告宛回答書でもつて、前記債権については、戦時補償特別措置法および在外財産等の関係があり、大蔵省において研究中であるので、しばらくお待ち願いたい旨回答したこと、<証拠略>によれば、厚生省援護局調査課長西村祐造は、昭和四二年三月ころ中山福蔵、中山マサ、原告に対し、前記債権につき支払義務があるのかないのか、事実を調査したうえでお答えする旨答えていたこと、以上の各事実が認められる。以上の各事実を綜合すると、外務省条約局は、原則的見解を一般的に回答したうえで、前記債権につき、その権利の存在を具体的に認めたというよりは、その存否の点はさておき、その処理方法、解決の可能性について言及したにとどまるものとみるべきであり、大蔵省理財局、厚生省引揚援護局も、前記債権の存否について、事実上も法律上も疑義があつて調査検討中であり、そのため待つてほしい旨回答したものというべきであるから、被告は原告の権利の存在を認識表示したものとはいいがたく、被告が前記債権を承認した旨の原告の主張は認めるに足りない。

そうすると、本件売買代金債権は、昭和二四年一二月一七日から一〇年を経過した昭和三四年一二月一七日時効により消滅したものといわなければならない(被告が昭和五〇年五月一五日の本訴口頭弁論期日において右時効を援用したことは当裁判所に明かである。)。

原告は、個人の国家に対する請求権については消滅時効の規定の適用はない旨主張するが、個人の国家に対する債権が消滅時効の対象たる権利に適しない理由はなく、右主張は採用に値しない。

三  してみると、本件売買代金債権一三二万四三一〇円は時効により消滅したものであるから、原告の主位的請求はその余を判断するまでもなくその理由がない。

四  次に、予備的請求について判断する。

契約不履行に基づく損害賠償請求権は、その契約によつて生じた本来の債権の拡張または内容の変更であつて、本来の債権と同一根拠を有するものにすぎないから、本来の債権が時効により消滅したにもかかわらず、その後にその債権について債務不履行に基づく損害賠償請求権が存在する理はなく、このことは遅延賠償、填補賠償のいずれの場合たることを問わないものと解すべきである。しかるところ、本件売買代金債権が時効により消滅したことは前叙のとおりであるから、右代金債務の不履行に基づく損害賠償請求権が発生すべきいわれはなく、原告の予備的請求はさらに判断するまでもなくその理由がない。

五  以上説示したところによれば、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することにし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 奥輝雄 江藤正也 田中恭介)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例